类别:N1-2022-7
大学2回生(注1)の頃だったか、フランス語の文章を講読する授業に出席していたところ、なにかの折に先生が、「分かるものを読むのは読書ではなく、分からないものを読むのが読書です」、と仰った。(中略)先生の言葉を聞いて当時の私は、自分がそれまでに知った限られた知識を確認するだけの本を読むのではだめで、自分の知らない考え方や感じ方にふれることによって、自分の偏狭(注2)な物の見方を問い直さなければならない、と先生は言いたかったのだろうと思った。先生の言葉に私は感銘し、その時以来、当時の私にとってとりわけ難解であったフランス現代思想の哲学者や思想家の本を、理解できるようになるまでとことん読むように心がけた。
そんな読書を続けるうちに、はたして、難解な本を理解するだけの読書でいいのだろうかと自問するようになった。というのも、理解するということが、そもそも良いことかと問いかける哲学者や思想家の本を読んだからだ。理解するとは、人であれ物であれ、その人やその物を理にかなった(注3)仕方で知る良い方法だとたいていは言われる。しかしながら、理にかなった仕方で、その人の人格なり、その物の本質なりを知ることには、暴力的なところはなにもないのだろうか。理解するということは、唯一存在しているこの人やこの物を、その単独な在り方ではなく、ほかの人やほかの物と共通する一般的な在り方で捉えることだ。私たちがなにかを知ろうとする際に頼りとする概念や観念は、様々な在り方をする諸々の(注4)存在に当てはまるから役に立つ。概念や観念は私たちが知ろうとする対象の在り方に力を加えるわけではないのだから、知る私たちと知られる対象の間に立つ中立的な光のようなものだと見なされている。的確な概念や観念をとおして諸々の存在を理解するのは、正しい学問だとされてきた。しかしながら、たとえそれが正しくても、この人やこの物が持っている単独のなにかは、理解では捉えられないまま、知それ自体のなかで忘却されて(注5)しまいがちだ。なにかを理解できるということは、たしかに人間の優れた能力である。が、それは武器であり、この至高(注6)の武器の前では、およそ存在するものはなんであれ、ほとんど抵抗することができないということを心得ていなければならない。
(注1)2回生:2年生(注2)偏狭な:偏っていて狭い;(注3)理にかなった:合理的な(注4)諸々の:ここでは、あらゆる(注5)忘却する:忘れ去る(注6)至高:最高
58.筆者は先生の言葉を聞いて、なんのために読書をするようになったか。
正确答案:1解析:问题是:作者听到老师的话以后读书的目的发生了什么变化?答案在第一段的最后一句。「先生の言葉に私は感銘し、その時以来、当時の私にとってとりわけ難解であったフランス現代思想の哲学者や思想家の本を、理解できるようになるまで とことん読むように心がけた。」受到老师那段话的启发,从那以后我开始注意去仔细研读那些对于当时的我来说特别难的代表法国现代思想的哲学家,思想家的书,直到彻底理解为止。所以答案是选项1「難解な物の見方や考え方を理解するため」为了理解那些很难读懂的书中的看法和想法。1为了理解那些很难读懂的书中的看法和想法。2为了重新审视机子看待事物的看法和思考。3为了增加自己的知识。4为了确认自己的知识是否正确。